神様にまつわる言葉



八百万(やおよろず)の神とは?

◆神道における神(かみ)とは、信徒の信仰や畏怖の対象である。
「八百万(やおよろず)の神」と呼ばれるが「八百万」は数が多いことの例えであり、またこのことから神道は多神教であるとされる。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

◆日本人は無宗教だと言われていますが、それは現代の話であって、仏教やキリスト教が入ってくるまでは、一般的に神道という宗教が信じられていました。正確に言うと、信じられていたのではなく、そう考えるのが当たり前だったと言った方が的確でしょう。その神道の主人公達であるのが、無数の神々、俗に八百万(やおよろず)の神と呼ばれる神様達です。有名なところでは、八幡様、お稲荷様、天照大神といったところでしょうか。

『八百万の神々』(日本に伝わる無数の神々)より
http://www.edit.ne.jp/~mati/okaruto/sindou.htm

◆神様と一端に言っても、神道の神はとくに個性的でそれ自体が山や海、火や水、土や金属を現している場合も少なくありません。では、なぜ、このように多くの神々が生まれたのでしょうか?
四季の変化、緑豊かな自然に恵まれた風土に生きてきた日本人は、地上の森羅万象は、神々によって生み出され、神々が司っていると考えてきました。そのもっとも素朴な形態は、山や森、岩や水などの自然物がに精霊が宿ると信じてきた、自然物崇拝のアニミズムなのです。やがて、山や森に宿る精霊は、どこからやって来るどういう存在なのかを人々が知ろうとするようになります。そうして、名もない精霊は『神』として意識され、人間の生活に直接関係するようになり、八百万の神として発展したのです。
地上の森羅万象を司る神は、いたるところに存在しますが、肉体には備わらず、目には見えない、得体の知れない存在です。それゆえに、神は自分から姿を現すことなく、やたらに自己を主張することもないと考えられ、常に沈黙して語らず、人間に対して何かを要求したり、いかに生きるべきかという教義を垂れることはないのです。
日本の神というのは、その存在の仕方も機能も、自由自在で多彩です。それは唯一絶対神(ユダヤ教のヤハウェのようなもの)のいないことによる自由さと開放性といってもいいかもしれません。普段、八百万の神と言ってひとまとめに呼んでいる神々も、ここの世界に焦点を当ててみると、その経歴も活動ぶりもさまざまです。有力な神に従属すると言ったことはなく、それぞれ独自な神としての個々を発揮しています。その意味では、非常にバラエティーに富んだにぎやかな世界であるともいえるでしょう。

『八百万の神々』(日本の神とは)より
http://www.edit.ne.jp/~mati/okaruto/sindou.htm

◆我々はこの日本という国において、きわめて不思議な現象を目の当たりにしている。国が信ずる神のいない国。その一方で、あらゆる神が出入りする国。これほど奇異な宗教体質を持った国はほかにない。

私は神の存在を信じていない。だが、神の持つ力は信じている。一見食い違っているが、私の中には矛盾はない・・・と信じている。つまり、自分に刃向かった人間を片っ端から天罰とやらで始末するような意識体としての神は信じない。古来、人々が神の行いと信じてきたのは純粋な自然現象である。ではなにをもって私は神の力を信じるのか。優秀なる指導者が愚かな民たちを統率する道具として使用した神の力である。神の名の下に愚民はひれ伏し、畏れ、敬い、許しを請うのである。これが恐るべき力と言わずしてなんだというのか。

なぜ人はかくも神を恐れるのか。神とは、先ほどの通り、人がいくらあがいてもうち破ることのできない自然そのものであったからだ。為政者が強大な力として神を利用する前、どこにでも様々な神がいた。その神々を知ることは、当時の人々が何に怯え、何を大切にしていたかを知るために重要である。

しかし、我々は不思議なほど祖国の神を知らない。あらゆる神が出入りするだけに、本来の神々の姿が見えにくくなっているのだ。神社にお参りしていても、そこにいる神様がなんという名前で、どういう神様なのか分からないのだ。これでは寂しい。

『八百万の神々』より
www.din.or.jp/~a-kotaro/gods/kamigami.html


そういうわけで、日本の文化を語るにおいて「神様」の存在は欠かせません。
[自然の恵み]=[神様の恵み]なのです。
自然の恵みは様々だから、神々も多種多様に祀られてきたのではないでしょうか。
経済や文化が発達し、人間がどんなに賢くなってがんばったとしても「自然」には勝てないのです。
だって「神様」には勝てませんから・・・・



高天原(たかまがはら)とは?

高天原(たかまがはら)は、『古事記』の日本神話と祝詞に於ける天津神の住む場所といわれています。
[※天津神とは、高天原にいる、または高天原から天降った神の総称です]
地上の人間が住む世界である葦原之中津国や、地中にあるとされている根の国・黄泉に対して、一般に天上にあると考えられていますが、明白に天にあるという描写はありません。
九州、大和、北陸、富士山など、実在の場所にあったとの説もあります。
本来は「たかあまはら」「たかのあまはら」「たかまのはら」などと読むのが正しいのですが、「たかまがはら」という読み方が広まっています。

『日本書紀』においては本文にはほとんど出てきません。
わずかに第4の一書と養老4年(720年)に代々の天皇とともに持統天皇につけられた和風諡号「高天原廣野姫天皇」にあります。
また『古語拾遺』本文では1箇所天孫降臨の神勅と、他に祝詞説明の注に現存の風土記では『常陸風土記』冒頭2語あるのみです。
所在地についての諸説
高天原の所在地については古来より諸説あり、古事記における神話をどうとらえるかによりその立場が大きく異なる。

「作為説」は、神話は作られたものですので、そこに出てくる高天原がどこにあったかなどと考えること自体が無意味だという説です。
山片蟠桃の説が代表的なもので、古事記における神代のことは後世の作為だといわれます。
戦後主流となっている津田左右吉の史観はこの考え方に基づいています。

「天上説」は、高天原は神の住む場所なので天上に決まっており、それ以外の場所を考えるのは不遜であるとする説です。
本居宣長の説が代表的なもので、戦前は皇国史観と結びついてこの考え方が主流でした。

「地上説」は、神話は何らかの史実を含んでおり、高天原も実在したものを反映しているとする説です。
新井白石の説が代表的なもので「神とは人である」といわれます。
地上説にはさらに国内説と海外説があります。
国内説の代表的なものは大和説と九州説で、邪馬台国の所在地の比定と共通の要素が多いため邪馬台国と高天原を関連付けて考える説もあります。
海外説の代表的なものは朝鮮半島説と中国南部説で、これは日本人の起源説と共通の要素が多いようです。
江上波夫の騎馬民族征服王朝説も海外説の一つだといわれています。


日本各地で「高天原」といわれている場所

☆高千穂地区(宮崎県高千穂町)
☆蒜山高原(ひるぜんこうげん)(岡山県真庭市)
☆神路山付近(三重県伊勢市・志摩市)
☆高天原山(群馬県上野村)
☆黒部川源流附近(富山県富山市)
☆生犬穴(おいぬあな)(群馬県上野村)
☆壱岐(長崎県壱岐市)

参考資料:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』



「日本書紀」とは?

日本書紀(にほんしょき、やまとぶみ)と呼ばれる、奈良時代に成立した日本の歴史書で、日本における伝存最古の正史で、六国史の第一にあたります。
舎人(とねり)親王らの撰で、720年(養老4年)に完成し、神代から持統(じとう)天皇の時代までを扱う書物です。

もとの名称が『日本紀』だったとする説と、初めから『日本書紀』だったとする説があります。
『日本紀』とする説は、『続日本紀』の上記記事に「書」の文字がないことを重視します。
中国では紀伝体の史書を「書」(『漢書』『後漢書』など)と呼び、帝王の治世を編年体にしたものを「紀」(『漢紀』『後漢紀』)と呼んでいました。
この用法に倣ったとすれば、『日本書紀』は「紀」にあたるものなので、『日本紀』と名づけられたと推測できます。
『日本書紀』に続いて編纂された『続日本紀』・『日本後紀』・『続日本後紀』がいずれも書名に「書」の文字を持たないこともこの説を支持していると言われます。
この場合、「書」の字は後世に挿入されたことになります。

『日本書紀』とする説は、古写本と奈良時代・平安時代初期のような近い時代の史料がみな『日本書紀』と記していることを重視しています。
例えば、『弘仁私記』序、『釈日本紀』引用の「延喜講記」などがそうです。
『書紀』が参考にした中国史書は、『漢書』『後漢書』のように全体を「書」としその一部に「紀」を持つ体裁をとります。
そこでこの説の論者は、現存する『書紀』は、中国の史書にあてはめると『日本書』の「紀」にあたるものとして、『日本書紀』と名づけられたと推測されます。

日本書紀の原資料は、6世紀の中頃欽明天皇の時代に言い伝えを元にして日本の歴史をまとめた『帝紀』・『旧辞』、諸氏の伝承などを取り入れているとされています。
なお、620年(推古28)に聖徳太子や蘇我馬子によって編纂されたとされる『天皇記』・『国記』の方がより旧い史書ですが、645年(皇極4)の乙巳(いつし)の変とともに焼失しました。
この後を受けて、歴史書が編纂されています。

なお、『日本書紀』本文中に書名をあげて引用されている文献として次のようなものがありますが、いずれも現存していません。『日本旧記』・『日本世記』・『伊吉連博徳書』・『難波吉士男人書』・『百済記』・『百済新撰』・『百済本記』など。

『日本書紀』の編纂は国家の大事業であり、天皇家や各氏族の歴史上での位置づけを行うという、極めて政治的な色彩の濃厚なものでした。
編集方針の決定や原史料の選択は、政治的に有力者が主導したものと推測されています。

『日本書紀』の構成

●卷第一
神代上(かみのよのかみのまき)
第一段:天地のはじめ及び神々の化成した話(天地開闢)
第二段:世界起源神話の続き
第三段:男女の神が八柱、神世七世(かみのよななよ)
第四段:国産みの話
第五段:国産みに次いで山川草木・月日などを産む話(神産み)
第六段:イザナキ死に、スサノオは根の国に行く前にアマテラスに会いに行く。
アマテラスはスサノオと誓約し、互いに相手の持ち物から子を産む。(アマテラスとスサノオの誓約)
第七段:スサノオは乱暴をはたらき、アマテラスは天の岩戸に隠れてしまう。
神々がいろいろな工夫の末アマテラスを引き出す。
スサノオは罪を償った上で放たれる。(岩戸隠れ)
第八段:スサノオが出雲に降り、アシナヅチ・テナヅチに会う。
スサノオがクシイナダヒメを救うためヤマタノオロチを殺し、出てきた草薙剣(くさなぎのつるぎ)をアマテラスに献上する。
姫と結婚し、オオナムチを産み、スサノオは根の国に行った。

●卷第二
神代下(かみのよのしものまき)
第九段:葦原中国の平定、オオナムチ父子の国譲り、ニニギの降臨、サルタヒコの導き、ヒコホホデミらの誕生。(葦原中国平定・天孫降臨)
第十段:山幸彦と海幸彦の話
第十一段:神日本盤余彦尊(かむやまといはれびこのみこと)誕生

※卷第三より以降の漢風諡号は、『日本書紀』成立時にはなく、その後の人が付け加えたものと推定されている。

●卷第三
神日本磐余彦天皇(かむやまといはれびこのすめらみこと)神武天皇

●卷第四
神淳名川耳天皇(かむぬなかはみみのすめらみこと)綏靖天皇
磯城津彦玉手看天皇(しきつひこたまてみのすめらみこと)安寧天皇
大日本彦紹 友天皇(おほやまとひこすきとものすめらみこと)懿徳天皇
観松彦香殖稲天皇(みまつひこすきとものすめらみこと)孝昭天皇
日本足彦国押人天皇(やまとたらしひこくにおしひとのすめらみこと)孝安天皇
大日本根子彦太瓊天皇(おほやまとねこひこふとにのすめらみこと)孝霊天皇
大日本根子彦国牽天皇(おほやまとねこひこくにくるのすめらみこと)孝元天皇
稚日本根子彦大目目天皇(わかやまとねこひこおほひひのすめらみこと)開化天皇

●卷第五
御間城入彦五十塑殖天皇(みまきいりびこいにゑのすめらみこと)崇神天皇

●卷第六
活目入彦五十狭茅天皇(いくめいりびこいさちのすめらみこと)垂仁天皇

●卷第七
大足彦忍代別天皇(おほたらしひこおしろわけのすめらみこと)景行天皇
稚足彦天皇(わかたらしひこのすめらみこと)成務天皇

●卷第八
足仲彦天皇(たらしなかつひこのすめらみこと)仲哀天皇

●卷第九
気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)神功皇后

●卷第十
誉田天皇(ほむだのすめらみこと)応神天皇

●卷第十一
大鷦鷯天皇(おほさざきのすめらみこと)仁徳天皇

●卷第十二
去来穂別天皇(いざほわけのすめらみこと)履中天皇
瑞歯別天皇(みつはわけのすめらみこと)反正天皇

●卷第十三
雄朝津間稚子宿禰天皇(をあさづまわくごのすくねのすめらみこと)允恭天皇
穴穂天皇(あなほのすめらみこと)安康天皇

●卷第十四
大泊瀬幼武天皇(おほはつせのわかたけるのすめらみこと)雄略天皇

●卷第十五
白髪武広国押稚日本根子(しらかのたけひろくにおしわかやまとねこのすめらみこと)清寧天皇
弘計天皇(をけのすめらみこと)顕宗天皇
億計天皇(おけのすめらの天皇)仁賢天皇

●卷第十六
小泊瀬稚鷦鷯天皇(おはつせのわかさざきのすめらみこと)武烈天皇

●卷第十七
男大述天皇(おほどのすめらみこと)継体天皇

●卷第十八
広国押武金日天皇(ひろくにおしたけかなひのすめらみこと)安閑天皇
武小広国押盾天皇(たけをひろくにおしたてのすめらみこと)宣化天皇

●卷第十九
天国排開広庭天皇(あめくにおしはらきひろにはのすめらみこと)欽明天皇

●卷第二十
淳中倉太珠敷天皇(ぬなかくらのふとたましきのすめらのみこと)敏達天皇

●卷第二十一
橘豊日天皇(たちばなのとよひのすめらみこと)用明天皇
泊瀬部天皇(はつせべのすめらみこと)崇峻天皇

●卷第二十二
豊御食炊屋姫天皇(とよみけかしきやひめのすめらみこと)推古天皇

●卷第二十三
長足日広額天皇(おきながたらしひひぬかのすめらみこと)舒明天皇

●卷第二十四
天豊財重日足姫天皇(あめとよたからいかしひたらしひめのすめらのみこと)皇極天皇

●卷第二十五
天万豊日天皇(あめよろづとよひのすめらみこと)孝徳天皇

●卷第二十六
天豊財重日足姫天皇(あめとよたからいかしひたらしひめのすめらみこと)斉明天皇

●卷第二十七
天命開別天皇(あめみことひらかすわけのすめらみこと)天智天皇

●卷第二十八
天淳中原瀛真人天皇(あまのぬなはらおきのまひとのすめらみことのかみのまき)天武天皇 上

●卷第二十九
天淳中原瀛真人天皇(あまのぬなはらおきのまひとのすめらみことのしものまき)天武天皇 下

●卷第三十
高天原広野姫天皇(たかまのはらひろのひめのすめらみこと)持統天皇

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用



「古事記」とは?

古事記は(こじき、ふることふみ)と呼ばれ、その序には和銅五年(712年)太朝臣安萬侶(おほのあそみやすまろ、太安万侶)によって献上された日本最古の歴史書で、上・中・下の全3巻に分かれます。
序によれば、稗田阿礼が暗誦していた『帝紀』(天皇の系譜)・『旧辞』(古い伝承)を太安万侶が書き記し、編纂したものといわれています。

『古事記』は正式名ではないとされ、古い書物を示す一般名だと言われています。
書名は安万侶が付けたのか、後人が付けたのかは、明らかではありません。
読みは「フルコトブミ」との説もありましたが、今日では一般に「コジキ」と音で読んでいます。
また『日本書紀』のような勅撰の正史ではありませんが、序文に天武天皇が「撰帝紀 檢舊辭 去偽定真使傳於後世」=「帝紀を撰録し、旧辞を討覈して、偽りを削り実を定めて、後葉に流(つた)へむと欲(おも)ふ」と詔していることから、勅撰といってもいいようです。

『古事記』は、帝紀的部分と旧辞的部分とから成っていて、天皇系譜が『帝紀』的部分の中心構成し、初代天皇から第33代天皇までの名、天皇の后妃・皇子・皇女の名、およびその子孫の氏族など、このほか皇居の名・治世年数・崩年干支・寿命・陵墓所在地、およびその治世の大事な出来事などについて記しています。
これらは朝廷の語部(かたりべ)などが暗誦して、天皇の大葬の殯(もがり)の祭儀などで誦み上げるならいでした。
それが6世紀半ばになると文字によって書き表わされました。
『旧辞』は宮廷内の物語、天皇家や国家の起源に関する話をまとめたもので、同じ頃書かれたものです。

『帝紀』や『旧辞』は、6世紀前半ないし中葉頃までに、天皇が日本を支配するに至った経緯を説明するために、朝廷の貴族によって述作されたもので、それらをもとにして作成されたことから、民族に伝わった歴史の伝承ではないとの主張もあります。
一方、広く民衆に受け入れられる必要もあったはずで、特に上巻部分は、それらを反映したものが『古事記』ではなかったかとの主張もあります。

構成は、上つ巻(序・神話)、中つ巻(初代から十五代天皇まで)、下つ巻(第十六代から三十三代天皇まで)の3巻で成っています。
内容は、神代における天地(アメツチと読まれる)の始まりから推古天皇の時代に至るまでのさまざまな出来事(神話や伝説等を含む)を収録しています。
また数多くの歌謡を含んでいます。
なお、日本神話での「高天原」という用語が多用される文書は、「祝詞」以外では『古事記』しかありません。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用



依り代(よりしろ)とは?

依り代は、神霊が依り憑く媒体のことです。
そもそも日本の神様は目に見えない存在であり、その意志も人間が直接知ることはできないとされています。
しかし古来から人間は、どうしても神意を知りたがったのです。
また神霊が人間の世界に常に存在することができないことから、神意をうかがうために、祀るときに招き寄せる必要があったのです。
そこで人間は考えました。
神が降臨(宿る)するための媒介物、いわゆる「依り代」を考え、そこに神霊が顕現(けんげん)するというようにしました。
言い換えると、神様と人間がコンタクトできる方法を生み出したのです。
一般的に神霊が依り憑く対象となるものは、樹木、石、岩などの自然物、御幣、棒、柱、幟、鉾山車などの自然物に人工物を加えたものです。
こうした依り代となる物体自体が神聖視されるようになって、神祭りや信仰の対象とされました。