桜井神社



桜井神社

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桜井神社は糸島地区では一番有名な神社ではないでしょうか。
志摩町の桜井地区に行くと、いたるところに看板が出ています。

野北から桜井方面へ向かうと二見が浦方面に行く道と福岡市西区桑原方面へ行く道に分かれた三叉路の交差点があります。
そこを600mほど直進(西区方面)すると、右がに郵便局があります。
さらに200m行くと左に曲がる三叉路の交差点がくるので左折します。
角を曲がった後、800mほど行くと右側にグラウンドがあって、その向かい側に大きな桜井神社の鳥居があります。
そこからさらに上り坂になっている住宅の間の細い道を抜けると、桜井神社の境内に出ます。

神社の前より

参道に入る左側には、社記が書かれた看板や神社の案内図があります。

神社案内図


参道は大きな神社らしく、アーチ型になった石の橋や石畳が敷き詰めてあり、起伏が激しい道になっています。


70~80mほど行くと県指定文化財である「楼門」の横に出ます。

楼門の前より

門には「正一位與止妃大明神(よどひめだいみょうじん)」と書かれています。

楼門の看板

楼門をくぐり、正面の拝殿の中には「與止妃宮」という彫り物が飾られています。
桜井神社の建物は、楼門だけではなく、この拝殿と本殿も県指定文化財です。

拝殿内の看板

拝殿の後ろには本殿があり、さらにその後ろには岩戸宮があります。
6世紀の横穴式石室の円墳が岩戸宮として祭られています。

本殿と岩戸宮

1610年6月1日から2日早暁に桜井を中心に雷鳴轟く大豪雨が降り、岩戸神窟が初めて開いて霊験あらたかな神様が出現されたことから、この地に岩戸神社が祀られたそうです。
当時、桜井神社は「與止妃大明神(よどひめだいみょうじん)」と呼ばれ、歴代黒田藩主の崇敬社とされてきました。
明治時代から桜井神社と呼ばれるようになったとのことです。

岩戸宮

岩戸神社

これらの建物をぐるっとまわり、再び楼門をくぐる際に、ふと見上げると楼門の上に桜井神社の名前の入った彫り物が掛けてありました。

桜井神社

ほとんど字が消えかかって見えにくいのですが、確かに「桜井神社」と書いてありました。


桜井神社に祀られている神様は、神直日神・大直日神・八十枉津日神の3神です。

神直日神(かむなおひのかみ)と大直日神(おおなおひのかみ)は、妻の伊邪那美命に追われ、黄泉国から現世へ逃げ帰った伊邪那岐命が、死の国の穢を祓うために橘小門の阿波岐原で禊ぎをしました。
その禍(穢れ)を直そうとして化生したのが、神直日神と大直日神の2神と伊豆能売神です。
この神直日神と大直日神の2神は、共に禍をなおす神様なのです。

八十枉津日神(やそまがつひのかみ)は、またの名を大禍津日神(オホマガツヒノカミ)、大屋毘古神(オオヤビコノカミ)ともいい、穢れを祓う神様です。
世に穢(きたな)らしい事が起きれば、激しく怒り、凄まじい枉事(まがごと)をもなす大神ですが、常には大きな御功徳を授けてくれます。
またの名を瀬織津比メ神ともいわれ、祓戸(はらいど)神であり、世の禍事罪穢れを祓ってくれる善い神様です。

桜井神社には岩戸宮を祀っている本殿・拝殿などとは別に、大神宮があります。

神社案内図

社殿の西南奥、光寿山のふもとには伊勢皇大神宮(いせこうたいじんぐう)の分霊を祀る桜井大神宮が鎮座します。
この大神宮は、1625年(寛永2年)藩主忠之公のときの造営で、現在の「桜井神社本殿」の創建よりも前につくられました。

伊勢皇大神宮といえば、天照大神(あまてらすおおみかみ)が祀られている神社です。
ちなみに、この神様は太陽神、皇祖神、日本の総氏神といわれ、あらゆる神徳を発揮する万能の神様です。