神罰・崇り(たたり)とは?

神罰も崇りも、本来は神様が人間の不浄(ケガレ)な行いに怒って、何らかの禍(わざわい)をもたらすという考え方に基づくものです。
言葉の発生は崇りのほうが古く、「タタリ」とは神が人間の前に「タツ」ことを表わしたもので「夢枕にタツ」などと使われるように、目に見えない神が「出現する」ことを意味しました。
それが後に「物の化(もののけ=悪霊)」や「怨霊(おんりょう)」等の観念と結びつき、世の中を不安にする疫病の流行、自然災害、社会の異常現象、または個人の不幸や不運などは、神がひき起こすとする信仰(御霊信仰)として定着し、神罰といわれるようになりました。

人間が自然(神)と調和して生きていた時には、崇るという観念はなかったのです。
しかし、文明が進化して人間の心が自然から離れた結果、崇りの観念が強く意識されるようになったと考えられています。
神罰が下る理由は、神の意志にそぐわぬ言動、神の宿る場所や空間、神木などの依り代に対して敬意を払わなかったりすると罰を受けるといわれます。
神罰を受けると、本人が不幸や不運に見舞われるだけでなく、子孫にまで禍(わざわい)が及ぶこともあるとされています。

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